Vol.2 「世間体」

8/20に女性のためのてつがくカフェvol.2@光明寺を開催しました。 本来ならオープンテラスで行うはずでしたが、かなりの暑さに断念。。光明寺さんのご厚意で急遽お寺のなかの一室を使わせていただくことになりました。
今回のテーマは「女性と世間体」です。
●世間は窮屈? まずは、世間体を巡るさまざまなエピソードから。自分の母親やお姑さんを代表とする上の世代の人は「世間体に縛られている」あるいは「がんじがらめになっている」が、それは自分で自分を縛っているにすぎない、また、世間は自分を映す鏡のようなものだから決して逃れることはできないという意見など、「世間は窮屈なもの」ということに参加者が頷きながらのスタートとなりました。
●世間のない世界もある? 次に、世間の無い世界は可では?という問いが立てられました。ツイッターに代表されるようにネット上では匿名も可能だから世間のないの世界も可能では、ということに。しかし、いくら「匿名の私」であってもそれを取り巻くように世間は必ずできるし、仮にネット上では匿名で生きられても実生活ではできない。というのも、継続したい(しなければならない)人間関係がある以上そこには世間が生まれるのだから。それも一つではなく、いくつもある、という意見も。
●良い世間とは? 世間とは切っても切れない関係がある以上、悪い面ばかりでなく良い面もあるのでは?との問いかけに、たしかに心地よい世間もあるということでした。つかず離れずの程よい緊張感がある関係の中には「良い世間」が生まれるらしい。どういうものなのかというと、他人から言われるではなく自分の中から生まれた規律、もしくは自分が決めた規律に従うのであれば気持ちがいい、自分が積極的に関わるコミュニティーは心地よいなど、所与のものとしての世間ではなく、主体的に関わることができる世間であれば決して悪くはないということでした。

とくに、お子さんをお持ちの方が感じるのは「知っていてもらえる安心感」だそうです。知っているけど普段はあえて口出ししない、けれど困った時には助けてくれる世間というものが確かにある。そういう世間とつながっていたい思えるのは子どもを産んでからだそうで、理由は一人でできることには限界があるからとのことでした。こうした見守り型世間は子育てに限らず高齢者にも当てはまり、良いコミュニティーには不可欠ということになりました。
●「違い」こそが世間の生みの親? 後半はおもに目に見える関係中心に「世間話」は進みましたが、見えない世間について次のような意見がありました。自分以外の人間と関係を作っていかなければならない以上、自分と他者の「違い」が現れ、その違いの何を問題にするかによってその人固有の世間が生まれてくる、つまり「世間に実体はない」という意見はとても新鮮でした。対話の冒頭に出た意見「世間は自分を映す鏡」にも通じています。とすると、他にも話題になった、文化やジェンダー、障害など、さまざまな「違い」を意識することによって初めて顕在化するのが「世間」ということになります。「違い」についてはまだまだ話し合いたかったのですが、時間になりお開きとなりました。
20代から50代までの女性たちによる「世間話」は嫁姑問題、結婚問題、親子問題、教育問題など多岐に渡るものでした。なお、ジェンダーと世間が話題になった際に、男性よりも女性の方が世間体を気にする傾向がありそれは女性の本質であるという意見が出たので、これについてはぜひ別の機会に話し合ってみたいと思います。

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